コラム
- 職場のハラスメント
バイスタンダー(傍観者)からの脱却 〜周囲のポジティブな介入が空気を変える〜
現場で起きている「沈黙の瞬間」
会議の場で、上司が部下に対して強い口調で叱責している。
明らかに行き過ぎていると感じる発言もある。
しかし、その場にいる誰一人として口を開かない。
視線は手元の資料に落ち、場の空気は固まり、ただ時間だけが過ぎていく。
多くの職場で、一度は見たことのある光景ではないでしょうか。
そして同時に、「何かおかしい」と感じながらも動けなかった経験を持つ方
も少なくないのではないかと思います。
この違和感はあるのに動けない状態こそが、ハラスメントを温存する
見えにくい土壌といえます。
「関係ない」は本当に関係ないのか
ハラスメントは、加害者と被害者の二者関係として捉えられがちです。
しかし実際には、その場にいる第三者の反応が、状況の行方を大きく左右します。
例えば、周囲が沈黙している状態は、意図せずとも「この振る舞いは許容されている」
というメッセージとして機能します。
人は、何が問題で何が許されるのかを、周囲の反応から読み取ろうとするため
誰も動かない場面では、「問題ではないのかもしれない」という認識が
強化されていくわけです。
このような現象は、社会心理学では「傍観者効果(バイスタンダー効果)」
として知られています(Latané & Darley, 1968)。
つまり、ハラスメントを規定しているのは行為そのものだけではなく
「その場の空気」ともいえます。
そしてその空気は、周囲の「無反応」によって形づくられているのです。
なぜ現場は動かないのか(心理メカニズム)
では、なぜ人は違和感を抱きながらも行動に移さないのでしょうか。
社会心理学の観点から主な要因を以下の3つに整理できます。
①多元的無知
周囲が動かない様子を見て、「大した問題ではないのだろう」と判断してしまう状態です。
②責任の分散
「誰かが対応するはずだ」と考え、自分が動く必要性を感じにくくなります。
③評価懸念
「過剰反応だと思われるのではないか」「立場を悪くするのではないか」
という不安です。
これらは個人の意識の問題というよりも、人間の自然な反応と見ることができます。
そのため、「勇気がないから動かない」と捉えるのではなく「動きにくくなる構造がある」と
理解することが重要です。
介入は「対立」ではなく「設計できる行動」
こうした心理的なハードルがある中で、現場ではどのような関わり方が
可能なのかを考えてみます。
重要になるのは「対立せずに介入する」という視点です。
ハラスメントへの介入というと、「正面から注意する」「指摘する」といった
強い行動をイメージされがちですが、それだけが選択肢ではありません。
むしろ、その発想こそが、行動を難しくしている要因の一つになっている場合もあります。
こうした背景の中で整理されているのが、「5Dモデル」と呼ばれる介入のフレームワークです。
これは、状況や自分の立場に応じて、複数の関わり方を選択できるようにしたものです。
(出典:Ann L. Coker et al., 2011 等のバイスタンダー介入に関する社会心理学研究より)。
具体的には、以下の5つの方法があります。
- 注意をそらす(Distract)
その場の流れを変える一言や行動によって、状況を一度切る方法です。
例:「今少しよろしいでしょうか、確認したいことがあるのですが」と声をかけるなど - 第三者に委ねる(Delegate)
自分一人で対応せず、上司や人事など適切な立場の人に共有する方法です。 - 記録する(Document)
日時や発言内容を記録し、後の対応に備える方法です。 - 後でフォローする(Delay)
その場で介入できなかった場合でも、後から被害を受けた人に声をかける方法です。
例:「さっきの件で、気分的に優れていないとかない?」 - 直接伝える(Direct)
その言動が不適切であることを、冷静に伝える方法です。
ここでのポイントは、「どれを選ぶかは自分の判断でよい」という点です。
すべてを実行する必要はなく、その場で可能な関わり方を選択できることが重要です。
私の経験則ですが、この「選択できる感覚」が生まれることで、行動のハードルは大きく下がります。
さらに言えば、これらの行動は単なる対処ではありません。
その場の空気を一度断ち切り、再構成する働きを持っています。
強く対立しなくても、さりげない一言や関わりが、「この場では見過ごされない」というメッセージとなります。
ハラスメントへの介入は、特別な行為ではなく、空気に小さな変化を起こす行動の積み重ねと捉えることも大切な視点です。

制度だけでは変わらない理由
多くの企業では、相談窓口の設置など制度整備は進んでいます。
実際、厚生労働省の調査によれば、ハラスメント相談窓口を設置している
企業は7割を超えています
(令和5年度 厚生労働省委託事業『職場のハラスメントに関する実態調査』)。
一方で、ハラスメントを目撃しても「何もしなかった」という回答は依然として多く、
その理由として「自分に関係がない」「不利益が怖い」といった声が挙げられています(同調査)。
つまり、制度が存在していても、現場の行動が変わらなければ状況は変わらないということがわかります。
ここから見えてくるのは、ハラスメント対策の本質が「制度」ではなく現場の空気にあるという実態です。

バイスタンダーを動かす設計とは
では、どのようにすれば周囲の行動は変わるのかを、見ていきます。
重要なのは、個人の意識に委ねるのではなく「動ける環境を設計すること」。
3つのポイントを整理しました。
ポイント①教育
ハラスメントの定義だけでなく、「どう介入するか」まで扱うこと
ポイント②共通言語
「これはイエローカード」「今のは行き過ぎ」といった判断基準の共有
ポイント③安全性の担保
介入した人が不利益を被らない仕組みの明確化
これらが揃うことで、「動いても大丈夫」という認識が生まれます。
下記の表に、心理的安全性という土台も合わせて整理してみましたので参考にして下さい。

また、声を上げた第三者(アクティブ・バイスタンダー)が報復や不利益を受けないための組織的な保護、
すなわち「心理的安全性の担保」も大事な点です。
人がハラスメントを目撃しても行動をためらう最大の理由の一つに、
「自分に火の粉が降りかかるのではないか」
「人間関係や評価が悪化するのではないか」
といった報復や評価低下への強い不安があります。
ですから、適切に介入した人を「組織の健全性を守る貢献者」として評価できることや、
不利益な取り扱いを厳禁する明確なルールを、組織として徹底することも忘れてはならない点です。
この心理的安全性が組織のインフラとして確保されているからこそ、わたしたちは安心して一歩を踏み出すことができます。
ハラスメント対策における着眼点
ハラスメント対策は、加害者を罰し、被害者を守ることで終わるわけではありません。
それらは必要な対応ではありますが、いずれも「起きた後」の対処にとどまります。
では、ハラスメントを「起こさない」ために、どこに着目すればよいのでしょうか。
その鍵となるのが、「その場にいる周囲がどう振る舞うか」という視点です。
なぜなら、職場での振る舞いは、当事者同士だけで決まるものではなく、周囲の反応によって大きく方向づけられるからです。
周囲がどう反応するかによって、
「これは許されるのか」
「ここまでなら大丈夫なのか」
といった判断基準が、場の中で共有されていきます。
こうした周囲の振る舞いは、防止措置という観点にとどまらず、職場の心理的安全性を形づくる重要な要素でもあります。
人は、「何が許されるのか」を、上司の言葉や制度以上に、周囲の反応から学習していきます。
その意味で、バイスタンダーの沈黙は「単なる無関与」とはいえません。
「この場ではその行為が成立する」という前提を強化し、行為を継続させる環境要因として機能します。
他方で、ささやかな介入は、その前提に揺らぎを生みます。
たとえ直接的な指摘でなくとも、視線を上げる、話題を変える、後で声をかけるといった行動が、
「この場では見過ごされない」という別の前提を立ち上げます。
これはわたしの現場経験においても、繰り返し確認されてきた現象です。
重要なのは、強い行動ではなく、前提を変える行動が起きるかどうかです。
ハラスメント対策とは、こうした前提がどのように形成され、再生産されるのかを踏まえ、
「見過ごされない状態」を意図的に設計していくことにあると考えています。
日常の中で交わされる一つひとつの反応が、場の基準を形づくっていきます。
その積み重ねが、「見過ごされないことが当たり前である」という前提を生み出し、
職場の基準そのものを変えていくのではないでしょうか。
■出典
・厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」
・Latané, B., & Darley, J. M. (1968) “Group inhibition of bystander intervention in emergencies”(傍観者効果に関する実証研究)
・株式会社パーソル総合研究所「職場のメンタルヘルスマネジメントについての定量調査」
・株式会社ビジネスリサーチラボ「傍観者効果:無関心が生む社会的影響と克服への道」
・(※5Dモデルについて)Ann L. Coker et al., 2011 等のバイスタンダー介入に関する社会心理学研究より
————————————————————————————————–
【執筆者】
相談員養成講座 特任講師 平澤 知穂
【プロフィール】
2000年にコーチとして独⽴、研修講師として活動開始。 2つの⼤学で通算14年間⼤学⾮常勤講師を務める。 企業や⾃治体、医療法⼈などにおいてハラスメント防⽌の活動を⾏い、2022年には個⼈のハラスメント年間相談対応が 600件を超えた。厚⽣労働省の設置するハラスメント相談窓⼝や、法務省の刑事施設における矯正教育関連プログラムの ファシリテーターを経験している。
お問い合わせ
個別研修を行いたい、社内規定を改定したいなどのご相談・執筆依頼・その他
こちらからお問い合わせください。