コラム
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ハラスメント相談の「あの場面」をどう乗り越えるか 〜「言った」「言わない」を整理する技術〜
「それは言いました」
「でも、そんな意味で言ったつもりはありません」
ハラスメント相談の現場では、「言った」「言わない」というやり取りに直面することが少なくありません。
相談者は「確かに傷ついた」「あの言葉が頭から離れない」と語る。
一方で、行為者側は「言葉自体は否定しないが、意図が違う」「悪気はなかった」と主張する。
この局面に立つと、経験のある相談員であっても、一瞬思考が止まります。
「さて、どこから整理すればよいのか」と。
ここで無意識に働きやすいのが、「どちらが正しいのかを早く決めたい」という思考です。
しかし、実務の現場で実感するのは、白黒をつけようと急ぐほど、相談は行き止まりになりやすいという事実です。
グレーゾーン事例だからこそ生じる「言った」「言わない」
ある企業でのケースです。
相談者は入社3年目の若手社員Aさん。
定例の進捗会議で、直属の上司Bさんからかけられた言葉について、
「人格を否定されたように感じた」と相談がありました。
その会議では、Aさんが担当していた業務の進捗が想定より遅れていました。
上司のBさんは資料を確認しながら、淡々と次のように述べました。
「今回の進め方を見ると、まだ一人で任せるのは少し不安かな」
「Aさんは真面目だけど、全体を見て動くのはあまり得意じゃないよね」
強い叱責や感情的な口調ではなく、会議もそのまま進行しました。
しかしAさんは、
「仕事のやり方ではなく、自分の性格や資質を評価されたように感じた」
「これ以上頑張っても、期待されていないのではないかと思った」
と振り返っています。
一方、上司のBさんは後のヒアリングでこう説明しました。
「業務の進め方について、今の段階での課題を伝えただけです。
人格を否定する意図はなく、成長してほしいという思いでした」
このケースは、明確な暴言や威圧があるわけではありません。
だからこそ、「ハラスメントだと言い切れるのか」「指導の範囲ではないのか」という
迷いが生じ、「言った」「言わない」「意図が違う」という論点に引き寄せられやすくなります。
「言った」「言わない」を整理できなかった事例
このケースでは、一次対応でAさんの話は丁寧に聞き取られ、
・いつ
・どの場面で
・どの言葉があったか
は整理されていました。
二次対応として上司のBさんに事実確認を行った際、相談員は
「Aさんは、その言葉を人格否定のように受け取ったと話しています」
と伝えました。
すると上司のBさんは、
「感じ方の問題なら、どうしようもないですよね」
と防御的になり、それ以上の対話が進まなくなってしまいました。
相談員側も、
「言ったことは認めているが、意図は否定している」
という状況で思考が止まり、結果として具体的な対応に結びつかないまま、消化不良の感覚が残ることになりました。
この行き詰まりは、「言った」「言わない」を発言の有無だけで整理しようとしたことに原因があります。
整理すべきは「言葉」ではなく「構造」
ハラスメント相談の二次対応で本当に確認すべきなのは、
「言葉があったかどうか」だけではありません。
重要なのは、次の三点を切り分けることです。
1. 事実:どの言葉が、どの場面で使われたのか
2. 受け取り:その言葉を相談者はどう受け取ったのか
3. 影響:その結果、職場で何が起きているのか
先のケースでは、
発言そのものよりも、その言葉をきっかけに、相談者が
・会議で発言しづらくなった
・上司に相談を避けるようになった
・業務への自信を失っている
という「影響」が生じていました。
ここに焦点を当てて整理し直したことで、
・組織として確認すべき点
・環境面で調整すべき課題
が具体的に見えてきました。
「言った」「言わない」を整理できたとき、相談は前に進む
「言った」「言わない」を白黒つける場ではなく、
「今、職場で何が起きているのか」を整理する場に切り替えたとき、相談は前に進みます。
この切り替えができると、
・行為者は「責められている」という感覚から一歩離れ
・相談者は「分かってもらえた」という安心感を得やすくなります。
結果として、
「誰が悪いか」ではなく、
「何を調整すれば、働きやすい状態に戻れるか」
を検討する段階に移ることができるのです。
「言った」「言わない」を扱えることは、相談員の専門性
「言った」「言わない」の局面は、相談員の専門性が最も問われる場面です。
相談員の役割は、どちらかの言い分を裁くことではありません。
発言の有無だけに引きずられず、その言葉がどの文脈で発せられ、
どのように受け取られ、職場にどんな影響を及ぼしているのかを整理することです。
相談者も行為者も、それぞれ自分なりの「事実」を語っています。
だからこそ、「どちらが正しいか」を急ぐほど、防御が強まり、対話は閉じていきます。
一方で、「事実」「受け取り」「影響」を分けて扱う視点を持つことで、
感情的な対立から距離を取り、現実的な対応を考えることが可能になります。
おわりに
「言った」「言わない」を丁寧に扱う力は、特別なテクニックではありません。
相談の構造を冷静に見立て、整理し続けようとする姿勢そのものが、相談員の専門性なのだと思います。
この姿勢が積み重なることで、
相談者にとっても、行為者にとっても、
「ここなら話しても大丈夫だ」と思える相談窓口が育っていきます。
白黒をつけることではなく、前に進むための整理を。
それこそが、ハラスメント相談における「言った」「言わない」を乗り越える鍵なのではないでしょうか。
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【執筆者】
相談員養成講座 特任講師 平澤 知穂
【プロフィール】
2000年にコーチとして独⽴、研修講師として活動開始。 2つの⼤学で通算14年間⼤学⾮常勤講師を務める。 企業や⾃治体、医療法⼈などにおいてハラスメント防⽌の活動を⾏い、2022年には個⼈のハラスメント年間相談対応が 600件を超えた。厚⽣労働省の設置するハラスメント相談窓⼝や、法務省の刑事施設における矯正教育関連プログラムの ファシリテーターを経験している。
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