コラム

  • 職場のハラスメント

休日まで追いかけてくるハラスメント〜日曜日の午後、スマホを握る部下たち~

日曜日のおだやかな午後。
本来であれば心も体も仕事から解き放たれ、明日への活力を蓄えるべき大切な時間です。
しかし、リビングのソファでスマートフォンを見つめる従業員の指先は、無意識のうちに転職サイトの検索窓を叩いているかもしれません 。

 

「心理的安全性 高い会社」「ハラスメントのない職場」といったキーワードを探す彼らは、単なる「キャリアアップへの関心」ではないはずです。
組織行動論の視点で見れば、この行動は職場環境の悪化によってすり減った自分のエネルギーや時間を死守しようとする、切実な防衛行動(資源防衛行動)と捉えることができます。

 

職場のストレスがプライベートという聖域にまであふれ出し、いまの環境では自分を保てないと本能が察知したとき、人は貴重な回復時間を削ってでも「逃げ場」を求め始めます。

 

実務家が本当に注目すべきは、この「休日の検索ログ」という、会社の人事データには現れない静かな予兆です。
表面的には従順に業務をこなしているように見える従業員も、心の中ではすでに組織から離れてしまっている可能性があります。この「静かな組織離脱」がもたらす深刻なリスクを、今回はテーマにしていきます。

数字が語る深刻な現実:ハラスメントが引き起こす「静かな離職」

ハラスメントが組織に与えるダメージは、単なる従業員の「感情の問題」ではなく、目に見える「経営損失」として表れています。

 

一般社団法人日本ハラスメントリスク管理協会(2026年)の調査によると、ハラスメントの被害を自覚している人の約半数が、「休日中に転職サイトへの登録や求人検索を行っている」という実態が明らかになりました。

▼調査はこちらからダウンロードできます
https://share.hsforms.com/1uuO7AneUQqW2yRFEvqsFrQsxma3

 

ここで見落とせないのは、被害に遭っている当事者だけでなく、それを見聞きしている周囲の「目撃層」の間でも、同じように離職の意思が高まっている点です。ハラスメントは職場全体の文化を汚染し、周囲の働く意欲まで連鎖的に奪っていきます。

 

さらに深刻なのは、会社がこの事態を正確に把握できない構造になっていることです。

 

パーソル総合研究所(2022年)の推計によると、ハラスメントを理由に離職する人は年間約86.5万人にものぼりますが、そのうちの約57.3万人もの人が、本当の理由を会社に告げずに去っていく暗数(表に出ない数字)となっています。
この統計上の空白は、本人が何も言わずに去っていく「静かな離職」です。

 

自分が所属している組織に、職場に、ハラスメントがあるかないか。それによって、休日中の転職活動の頻度には決定的な違いが生まれます。
「最近の若者はすぐに辞めてしまう」と管理職が嘆いているのであれば、その背後では実際には把握できていないハラスメントのリスクが、会社の未来を支える貴重な人材を外へと押し流している可能性があるのです 。

心のエネルギーが枯渇する「喪失の螺旋」とは

では、なぜ従業員は、せっかくの休日を削ってまで、エネルギーを使う転職活動に走るのでしょうか。

 

この仕組みを分かりやすく説明してくれるのが、S. E. Hobfoll氏が提唱した「資源保存理論(COR理論,1989)」です。
この理論では、人間を「健康、時間、自尊心、自己効力感(自分への信頼)」といった価値ある心の資源を守り、蓄えようとする存在として捉えます。

 

従来の心理学的ストレスモデルにおいても、これら個人の持つ「リソース(資源)」に負担がかかったり、それを超えたりした時に幸福が脅かされ、強いストレス反応が生じると定義されています(根耒・金井,2021)。

 

自分の資源がハラスメント等によって脅かされたとき、人は防衛本能として、新しい資源(新しい転職先)を確保しようと動きます。
しかし、そのためには手元に残っている資源(貴重な休息時間や気力)を投資しなければなりません。
これが、さらなるエネルギーの枯渇を招く「喪失の螺旋(Loss Spirals)」を生み出します。

 

ビジネスの現場に置き換えるなら、「心の資源が減り続けると、人は守りの姿勢に入り、今の環境から逃げ出すことでしか自分を保てなくなる」ということです。彼らにとっての転職活動は、キャリアアップという希望からではなく、自分自身の心が壊れるのを防ぐための「緊急避難」という見方ができます。

私生活へあふれ出るストレスと、回復の失敗

職場での心の消耗は、オフィスを出た瞬間に止まるわけではありません。ここで重要になるのが、仕事と私生活の区切りに関する「境界理論(Boundary Theory)」です。

 

本来、仕事とプライベートの間には適切な境界線があり、休日は仕事で使ったエネルギーを補充する「回復」の時間として機能します。しかし、ハラスメントという強烈なストレスは、この境界線を突き破り、家庭やプライベートの時間へと流出させてしまいます(ワーク・ライフ・スピルオーバー)。

 

この現象は、Demerouti氏ら(2001年)が提唱した「JD-Rモデル(仕事の要求度・資源モデル)」によって、より明確に説明できます。過剰な「仕事の負担(ハラスメントなど)」に対して、組織からの「サポート(上司の助けなど)」が不足している状態が続くと、従業員は急速に燃え尽き症候群(バーンアウト)へと向かいやすくなります。

 

日本ハラスメントリスク管理協会のデータにおいて、「疲れを強く感じている人の37.5%にハラスメントの被害認識がある」と示されているのは、まさにこのモデルが指摘する「過剰な負担が健康を害していくプロセス」そのものと考えられます。

 

また、疲労を回復させるための「回復理論(Recovery Theory)」の観点からも、日曜日の午後に緊張や不安を伴う「求人検索」に没頭することは、エネルギーの充電を妨げることになり、月曜日の朝にさらなる疲弊を抱えて出社するという、悪循環を生み出してしまうこともあります。

 

根耒・金井(2021)が紹介している国内外の先行研究(Kivimäkiら, 2003など)によると、組織の「手続きの公正さ」や「上司の部下に対する誠実な態度(相互作用的公正)」が損なわれている環境では、労働者の精神疾患やうつ病の発症リスクが約1.4倍〜2.5倍高まることが報告されています。見えないハラスメントや不公正な扱いが、いかに個人の限界を超えさせるかがデータからも証明されているのです。

良かれと思って「腫れ物扱い」。部下の心をさらに離れさせる

こうした事態を重く見た管理職が、間違った防衛策に走ってしまうケースも増えています。パーソル総合研究所(2022年)の調査によると、自分がハラスメントの加害者になることを恐れるあまり、以下のような「回避的マネジメント」が日常化していることが示されています。

 

  • 「飲み会やランチに誘わない(腫れ物に触るような対応)」 (75.3%)
  • 「ミスをしても厳しく指導しない(指導の放棄)」 (81.7%)

 

これらは一見すると部下への配慮のように思えるかもしれません。しかし実態は、部下から「成長機会という大切な資源」を奪う行為であり、さらなる心理的な離職を加速させるという皮肉な結果を招いています。

 

Googleが行った社内調査「プロジェクト・アリストテレス」が証明したように、高い成果を出すチームの土台にあるのは、メンバーが安心して自分のアイデアや挑戦という資源を投資できる「心理的安全性」です。これを築くためには、リスクを恐れて距離を置く「守りの対策」ではなく、対話を通じて部下のエネルギーを補う「育成的対策」が欠かせません。

【対策の方向性】

防衛的対策
・具体的なアプローチ…  指導の回避   コミュニケーションの遮断
・期待される組織的資源…時的な法的リスクの低減(対処)

育成的対策
・具体的なアプローチ… 傾聴・対話      心理的安全性の構築
・期待される組織的資源… 自己効力感 成長実感 組織コミットメント

会社と人事が今すぐ取り組むべき3つの実践的アプローチ

ハラスメント対策を、単なる「裁判や損害賠償への備え」として捉える視点は変えなければなりません。ハラスメントを「大切な人的資本という資源を壊す行為」と再定義し、適切な環境管理を行うことが、本来のコンプライアンスの姿でしょう。

 

従業員から「休日のリラックスタイム」を奪うのではなく、安心して働ける環境を整えるために、ここでは、3つのアプローチをご紹介します。

 

1.「誰が言ったか」ではなく「何が起きたか」に集中する組織風土づくり

トラブルが起きた際、「誰が言ったか(立場や好き嫌い)」で判断するのではなく、「何が起きたか(事実とシステムの問題)」に集中する組織文化へ転換することです(岡本・鎌田, 2006)。問題の原因を個人の性格や資質にすり替える文化は、ハラスメントを生み出す温床となります。

2.相談窓口への「どうせ言っても無駄」という無力感をなくす

「相談してもどうせ何も変わらない」という諦めをなくすため、厚生労働省の措置義務に基づき、事実確認と迅速な被害者への配慮を徹底することです。相談窓口がきちんと機能し、実効性があることを示すことは、本当の理由を言わずに辞めていく「暗数」を防ぐ唯一の手段と言っても過言ではないと思います。

3.「やってはいけないこと」という禁止から「話を聴く」育成型対策へ

部下との対話の機会を意図的に設けることは重要です。わたしが実施したヒアリングでは、そもそもその時間がセットされていないケースが多く見られました。セットされていても、その時間が「インタビュー」(聞き取りだけ)のようになっている企業も少なくありません。
部下の話を丁寧に聞き、適切にマネジメントできることはマネジメントの土台です。これらのスキルにより、「心理的安全性」という目に見えない資源を組織から提供できるようになるでしょう。

管理職に対して、「やってはいけないこと」が書かれた禁止事項のリストを配るだけでは不十分だ、と過去のコラムでも書いたことがありますが、これがその理由のひとつです。

 

従業員が日曜日の午後に、転職サイトで逃げ場を探すのではなく、自社の未来を前向きに考えられる組織 。そのような職場を築くことこそが、これからの時代における持続可能な組織運営の根幹となるのではないでしょうか。

 

参考・出典文献

  • 岡本浩一・鎌田晶子 (2006) 『属人思考の心理学:組織風土改善の社会技術』新曜社
  • 厚生労働省 (2020) 「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」
  • 厚生労働省 (2022)「労働安全衛生調査(実態調査)」
  • 日本ハラスメントリスク管理協会(2026)「職場のハラスメントと個人・組織の諸相関調査」
  • 根耒伸至・金井篤子(2021) 「職業性ストレスの組織環境要因に関する研究展望」『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(心理発達科学)』68, 39-58.
  • パーソル総合研究所 (2022) 「職場のハラスメントに関する定量調査」
  • Demerouti, E., Bakker, A. B., Nachreiner, F., & Schaufeli, W. B. (2001) “The job demands-resources model of burnout.” Journal of Applied Psychology, 86(3), 499-512.
  • Hobfoll, S. E. (1989) “Conservation of resources: A new attempt at conceptualizing stress.” American Psychologist, 44(3), 513-524.

 

 

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【執筆者】

相談員養成講座 特任講師 平澤 知穂

 

【プロフィール】

2000年にコーチとして独⽴、研修講師として活動開始。 2つの⼤学で通算14年間⼤学⾮常勤講師を務める。 企業や⾃治体、医療法⼈などにおいてハラスメント防⽌の活動を⾏い、2022年には個⼈のハラスメント年間相談対応が 600件を超えた。厚⽣労働省の設置するハラスメント相談窓⼝や、法務省の刑事施設における矯正教育関連プログラムの ファシリテーターを経験している。

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